大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 平成4年(ワ)460号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

福崎博孝

被告

安田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

後藤康男

右訴訟代理人弁護士

太田恒久

石井妙子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が平成四年五月一一日原告に対してなした懲戒解雇が無効であることを確認する。

第二  事案の概要

一  本件は、被告の長崎支店に勤務していた原告が、被告に対し、平成四年五月一一日付で原告に対してなされた懲戒解雇が解雇権の濫用に該当し無効であることの確認を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  原告は、昭和四八年に長崎大学経済学部を卒業し、同年四月に被告会社に入社し、以来各地の支店等の勤務を経て、昭和六三年四月に被告長崎支店自動車営業課(以下、単に「自動車営業課」ということがある。)に勤務し、課長職についた。

2  被告は、我が国の損害保険業界において、東京海上火災保険株式会社(以下、単に「東京海上」ということがある。)についで第二位のシェアーを占める会社であり、九州沖縄地区においては、これまで、東京海上を上回り、第一位のシェアーを確保してきている。

3  被告が所属していた被告長崎支店は、九州沖縄本部を構成する一〇支店(平成四年度からは一一営業所)の一つであって、長崎県全域(壱岐・対馬を除く)を統括しており、その自動車営業課は同支店の一営業課である。

4  原告は、平成二年八月三一日、自動車営業課松谷陽史主任の友人である岩崎博實名義で、日産クレジットの保険料ローン契約を締結した(同ローン金額一〇〇〇万円)。

5  原告は、平成二年九月二八日、自動車営業課の嘱託員川邊一郎名義で、日産クレジットの保険料ローン契約を締結した(同ローン金額二〇〇〇万円)。

6  平成四年三月一三日に、訴外日産クレジットから被告に対して、平成三年九月に保険料ローン契約が解約されたにもかかわらず、残金の返済がなされていない旨の問い合わせがあった。

7  原告は、平成四年五月一一日付けで、被告から懲戒解雇(以下、「本件懲戒解雇」という。)された。

三  争点

本件懲戒解雇が有効か否か(解雇権の濫用に該当するか否か)が、本件の争点であり、この点に関する当事者双方の主張は次のとおりである。

1  原告の主張

(一) 被告会社「九州・沖縄本部」の営業状況等について

(1) 被告会社においては、九州沖縄地区において、連続トップシェアーを確保することが至上命令になっていたため、営業社員に対するノルマ(内部では、「予算」と称していた。)は厳しく、全営業社員の苦労の種となっていた。

(2) 被告は、九州沖縄地区におけるトップシェアーを維持するために、規則やルールを無視した営業活動を多々行っており、大蔵省等の国の行政指導を無視した営業行為も社内的には公然と実施されていた。

(二) 被告長崎支店営業課の営業状況等

(1) 被告が勤務していた長崎支店自動車営業課は、自動車保険獲得を目的とする営業課であったものの、右自動車保険とは関係のない積立保険のノルマ(予算)も課せられていた。

(2) 被告長崎支店は、九州沖縄本部の支店の中で、対東京海上収入保険料比(被告内部では「対T比」と呼ばれている。)が以前から最低であり、常に「長崎支店がオール九州の足を引っ張っている。」等と批判され続けており、同支店においては「対T比アップ」が至上命令となっていた。また、被告が九州沖縄地区でのトップシェアーを維持確保するために、成績ウエイトの高い積立保険のノルマ達成が至上命令となり、特に、平成三年度においては、そのノルマ達成に苦戦を強いられ、積立保険に七ないし八割の営業上の勢力を費やした。

(3) 自動車営業課は、主に自動車ディーラーを担当していたが、平成三年度の年間予算(ノルマ)は、一般種目(自動車保険、自賠責保険、火災保険等の掛け捨て保険)で一〇億円、積立保険で二億五〇〇〇万円となっており、同課の担当先等の関係から、右積立保険のノルマ(予算)達成が非常に困難な状況が続いていた。

(三) トヨタカローラ長崎とのトラブルについて

(1) 被告長崎支店は、昭和四九年ころから、トヨタカローラ長崎の損保一般種目取引全体の七〇パーセントから八〇パーセントの量の取引量(シェアー)を確保してきた。

平成元年度のトヨタカローラ長崎の損保一般種目契約のシェアーは、ほぼ被告会社七〇パーセント、東京海上四パーセント、千代田火災海上二六パーセントであった。なお、トヨタカローラ長崎の積立保険は総て被告において受け入れており、そのシェアーは一〇〇パーセントであった。

(2) 平成元年九月中旬ころ、トヨタカローラ長崎が、被告に対して、被告の長崎支店旧店舗跡地を売却してほしい旨申し入れてきた。

トヨタカローラ長崎の右土地購入希望は強く、かかる希望が入れられない場合には、被告との損保取引は全て中止するという姿勢であった。

被告長崎支店にとって、トヨタカローラ長崎との取引が減少ないし無くなることは、ノルマ達成の面からしても重大な問題であったが、被告は、不動産は売却しないという企業方針であったため、トヨタカローラ長崎との取引のシェアーダウンを覚悟のうえ、平成二年三月下旬ころ、同社からの右土地売却申し入れを断った。

(3) トヨタカローラ長崎は、右土地売却申し入れが断わられたことに激怒し、今後は被告を他の損保会社と同列に扱うとの被告との損保取引等の取引関係の縮小を示唆した。

このことは、原告が課長の職にあった自動車営業課に重大な影響を与えた。

すなわち、トヨタカローラ長崎の従業員が参加して行われていた被告の積立保険キャンペーンが実施されなくなったので、トヨタカローラ長崎の積立保険だけでも毎年一億円の減収になることになった。

また、平成三年度からは、トヨタカローラ長崎に関する一般種目(自動車保険、自賠責保険)の保険料で六五〇〇万円の減収となり、これは被告長崎支店自動車営業課の一般種目の保険料の約七パーセントに相当する減収であった。

(4) しかし、自動車営業課にとって不可抗力としか言えないノルマのマイナス分を、被告は、同課の成績評価に一切考慮しなかった。そのため、同課の課長であった原告は、ノルマ達成のために大変なプレッシャーを受けながら営業を行わなければならず、とくに、「新規開拓の容易な積立保険だけは何とか従前と同じ成績をあげなければならない。」と追い詰められた。

(四) 本件懲戒解雇に至る経緯

(1) 被告等の損害保険会社が、売上高に寄与の高い積立保険を獲得するに際しては、一般的に、銀行等の金融機関からの「紹介契約」が大きなウエイトを占めていたが、かかる紹介契約の場合、銀行等が積立保険契約を紹介する対価として、被告等の損害保険会社が、当該銀行へ損害保険会社名義の預金設定を行うことが慣例となっていた(かかる銀行預金を、以下、「バーター預金」ということがある。)。

しかしながら、銀行側担当者は、銀行内での法人名義預金の査定評価が下がってきたことから、原告ら損害保険会社営業員に対して、「個人名義」の預金設定を要求するようになった。

原告は、ノルマ達成のために、このような銀行の要求を受け入れることとし、当初、原告の純粋な個人預金を利用してきたが、同人の個人預金のみでは不足したため、銀行に預金として提供できる資金の捻出方法を思案した。

① 被告長崎支店には、毎月、代理店経由で、自動車保険等の一般種目の契約者からの保険料が集められ、一旦、被告長崎支店の金庫に保管されるが、その保管された保険料たる現金は、本来、被告長崎支店の特定の同社名義の預金口座(被告口座)に入金されなければならなかった。

② 原告は、集金された保険料を、右預金の資金として利用することを思いつき、被告口座への入金を他の方法でつじつまを合わせる方法として、日産クレジットの保険料ローンを利用することを考えた。

すなわち、自動車営業課の営業社員等の名義で、被告会社との積立保険契約を締結したこととし(勿論、その契約は、被告会社の内部では存在しないものとして扱うことになる)、その架空の積立保険契約の存在を前提として、日産クレジットとの間で、「積立保険一括払い保険料ローン契約(金銭消費貸借)」を締結し、同クレジット会社からの一括払い保険料の借入金を被告口座に振り込ませ、(1)記載の現金として自由に利用するものであった。

③ 右のような方法で、銀行との取引を成立させるためには、自動車営業課の職員の協力が必要であり、営業課全員の了知のもと、この方法によって、銀行への協力預金を実施し、ノルマを達成することとした。

(2)① 原告は、平成二年七月ころ、西日本銀行長崎支店の支店長代理から、「手持ちの積立保険と個人預金とをバーターしないか。」という相談があった際、この申し入れに応じることにし、まず、熊本銀行長崎支店とのバーター取引のために同年二月ころに同銀行に設定していた原告の純粋な個人預金一〇〇〇万円を同年七月三一日に解約し、その解約金を西日本銀行長崎支店に協力預金として設定した。

② その後も西日本銀行長崎支店とのバーター取引は続き、そのための個人預金の資金捻出が必要になったが、原告個人の資金力を越えていたため、原告は、同年八月三一日、自動車営業課の松谷陽史主任の友人である岩崎博實の了解を得て、同人名義で日産クレジットの保険料ローン契約を締結し、西日本銀行長崎支店に預金設定するための一〇〇〇万円の資金を捻出し、この一〇〇〇万円を西日本銀行長崎支店に原告個人名義で預金設定して、同銀行支店長代理から積立保険契約を紹介してもらった。

③ その後、西日本銀行長崎支店から、更に、追加の協力個人預金の要請があり、原告は、同年九月二八日、積立保険を獲得すべく、この要請に応じ、自動車営業課の嘱託社員川邊一郎の了解を得て、同人名義で日産クレジットの保険料ローンを締結し、二〇〇〇万円を現金化して、原告名義で、西日本銀行長崎支店に協力預金を設定した。

④ 当初、西日本銀行長崎支店支店長代理との約束では、右協力預金の期間は三ヵ月としていたが、右支店長代理の執拗な定期預金の継続依頼にあい、約一年にわたって協力預金の継続を繰り返した。しかし、右支店長代理は、平成三年七月ころには、積立保険の紹介をしなくなったため、同銀行の協力預金を引きあげることとし、同年九月二七日までには全て解約した。

⑤ 日産クレジットへの架空の保険料ローン申込みに当たっては、被告長崎支店自動車営業課の職員が分担して作業にあたり、日産クレジットへ提出する「融資取次書」の作成は、一般職員を含めた原告の部下が担当し、協力預金に使用した現金・小切手等を動かすことに関しては、一般職員たる経理担当職員が担当した。

⑥ なお、名義を使用させてもらった岩崎博實の了解は、その友人である原告の部下松谷主任がとり、川邊一郎の了解は、その上司である原告がとった。

(3) 日産クレジットは、平成四年三月一三日、被告に対して、「平成三年九月に保険料ローン契約が解約されたにもかかわらず、残金の返済がなされておらず、被告に対する未回収金として扱う。」という問い合わせと催告をなした。原告は、乙山支店長から右事実及びその経過の確認を受け、「自動車営業課の職員等の名義で積立保険契約を成立したようにして、日産クレジットの保険料ローン契約を締結し協力預金の資金を引き出して、銀行とのバーター取引を行った。」という全ての事情を説明した。

(4) 原告は、同年三月一六日、被告から、九州沖縄総務管理部付として、福岡の九州・沖縄本部への転勤命令を受けたが、本件事件の処理が済むまでの当分の間、被告会社長崎支店に止まるようにとの指示を受け、そのまま長崎支店に止まった。

(5) 原告は、同年三月二一日、被告本社検査部、業務統括部、九州・沖縄総務管理部長、同営業推進部長、長崎支店長等の事情聴取を受けた。

原告は、それまでの経緯をありのままに正直に説明したが、そのとき、同人らは、「移動先の総務管理部で二、三年苦労すれば、また復帰も可能だから。」等といった。

(6) 原告は、同年四月七日、九州・沖縄総務管理部において、本社検査部、九州・沖縄総務管理部経理財務課長、長崎支店長から、二度目の事情聴取を受けた。

この際に、原告は、平成二年三月二七日、二八日に設定した熊本銀行長崎支店の協力定期預金の資金の出所を聞かれたが、明確な記憶がなかったため、後日報告することとした。

原告は、長崎に戻って事実の確認をしたが、松谷主任名義の預金通帳から保険料ローンの返済金額に見合う口座引き落としがなされていたため、前記熊本銀行長崎支店の協力預金の資金の捻出も日産クレジットの保険料ローンによるものと判断し、被告長崎支店長にいわれるままに、その趣旨に沿った報告書を提出した。

(7) 原告は、同年五月一一日、乙山支店長から、原告の処分が懲戒解雇と決まった旨通告され、その後、原告宅へ「懲戒解雇通知書」が郵送されてきた。

(五) 本件懲戒解雇が無効であることについて

本件事件において原告が行った行為は、いかに被告のノルマを果たすためとはいえ、決して許されるものではなく、原告に非がないということはできないし、原告自身、深く反省している。

しかし、本件事件に関する以下の如き事情からすれば、被告が原告になした懲戒解雇処分は重きに過ぎ、解雇権の濫用というべきである。

(1) 被告は、平成四年六月四日付内容証明郵便において、被告の業務上の金銭を自己名義の銀行口座に預金した時点で、「原告に不法領得の意思があった。」として、業務上横領罪が成立するものとしているが、原告にはそのような不法領得の意思は全くなかった。

むしろ、原告は、ノルマ達成のためとはいえ、被告の営業上の利益を過度に考えたばかりに、このようなバーターのための銀行預金の設定を行ったのであり、原告の利益のために実施したものではない。

それは、原告が、今回の事件で被告に対して何らの損害も与えていないことによって明らかである。

(2) 原告をここまで追い詰めたのは、他ならない被告自身であり、損保会社としての社会的使命を無視した利益第一主義の体質が原因しているのである。被告は、社会的に発覚しなければ大蔵省等の国の行政指導をも意に介さない企業体質、内部での厳しいノルマを許容し、原告ら営業社員を締めつけ、利益第一主義に走らせてしまっているのである。

しかも、本件事件は、新聞等の報道機関に知られることもなく、本件事件によって被告の信用等が毀損されたという事実もない。

原告ら社員を営利第一主義の中に浸らせ、そのお陰で利益をあげてきた被告に、原告を懲戒解雇する権利はないというべきであり、被告が、その体質を急速に改善して、原告ら職員の意識を改変し、原告を再教育することによって、原告に二度と同様の過ちを犯させないよう雇用を継続することこそが、その社会的責任というべきである。

2  被告の主張

(一) 本件不正行為に至る経緯とその態様について

(1) 原告は、自らが主張するとおり、積立保険契約獲得のために、西日本銀行長崎支店等に多額の個人名義預金を設定することとしたが、預金設定のための資金として、被告長崎支店に損害保険代理店から保険料として集金して保管される現金及び小切手を領得してこれに充当することとし、その際、流用した保険料を埋め合わせるために、日産クレジット保険料ローン制度を悪用した。

(2) 原告は、自動車営業課員等の名義で、あたかも被告との間に積立保険契約が締結されたかのように仮装し、この架空保険契約に基づき、日産クレジットとの間に保険料ローン契約を締結し、右同社から積立保険の保険料としての金員を被告長崎支店の指定口座に送金させて、前記領得金員の帳尻を合わせることとした。

なお、右不正行為を行うについては、原告は、自動車営業課長の立場を奇貨とし、自らの名義を用いることなく、同課所属の部下社員(男子)に要請して同社員またはその知人の名義をもって保険料ローン契約を締結して日産クレジットから保険料を引き出した上、前記領得にかかる金員の流れを隠すために同課所属の部下社員(女子)に変則的な事務処理を特に指示した。

(二) 懲戒処分に該当する事実

(1)① 原告は、平成二年三月二七日ころ、被告長崎支店において、損害保険代理店から保険料として集金・保管されていた現金及び小切手合計一〇七四万三九〇四円を、熊本銀行長崎支店の自己名義の普通預金口座に預金して領得し、同年四月二日、右普通預金口座から一〇〇〇万円を引出し、同日、同銀行同支店に自己名義で一〇〇〇万円、期間三ヵ月の定期預金を設定した。

② 原告は、右に先立って、平成二年三月ころ、原告の直属の部下である松谷陽史主任に対し、長崎支店自動車営業課の成績のために保険料ローン契約の名義を貸すように求め、同人の承諾を得た上、あたかも松谷と会社との間に積立保険契約が成立したかのように装い、同人名義で日産クレジットとの間で、架空の積立保険契約を前提とした一〇〇〇万円の保険料ローン契約を締結し、日産クレジットから同月二七日に被告長崎支店の指定口座に一〇〇〇万円を振り込ませて、これを騙取し、不足分となった前記領得金額の帳尻を合わせた。

(2)① 原告は、同年八月末日ころ、前記(1)①と同様の保険料として集金し、会社のために業務上保管中の現金及び小切手合計一〇〇〇万円(内訳不詳)を領得した(右領得金員の使途は判然としていない)。

② 原告は、これに先立つ同年八月ころ、再び、前記松谷に要請して同人の知人である岩崎博實の名義を借りて、前記(1)②と同様の手口で日産クレジットから、同月末日に被告長崎支店の指定口座に一〇〇〇万円を振り込ませて騙取し、不足分となった前記領得金員の帳尻を合わせた。

(3)① 原告は、同年九月二七日ころ、前記(1)①と同様の保険料として集金し、会社のために業務上保管中の現金及び小切手合計二〇〇〇万円を熊本銀行長崎支店の自己名義の普通預金口座に預金して領得した。

次いで、原告は、同年一〇月四日、預け入れてあった右普通預金口座から二〇〇〇万円を引き出し、同日、同銀行同支店に自己名義で二〇〇〇万円、期間三ヶ月の定期預金を設定した。

② 原告は、同年九月二八日ころ、自動車営業課の嘱託社員川邊一郎の名義を無断で用いて、前記(1)②と同様の手口で、日産クレジットから、同月二八日に長崎支店の指定口座に二〇〇〇万円を振り込ませて騙取し、不足分となった前記領得金員の帳尻をあわせた。

(三) 本件不正行為の発覚の経緯等について

(1) 日産クレジット(本社)は、平成四年三月一三日、日産クレジット(本社)から、被告自動車開発第一部(本部)に対して、岩崎博實及び川邊一郎名義の保険料ローン契約が解約されたにもかかわらず、返済がない旨の照会をした。

(2) 右照会を受けた自動車開発第一部は、担当部である積立業務部に連絡をし、渡辺同部企画課長が原告に電話を架けて事情を問い合わせた。積立業務部から連絡を受けた乙山長崎支店長が原告を厳しく問いただしたところ、前記(二)(2)及び(3)の不正行為について大筋を供述するに到った。

(3) その後、検査部(本社)や九州沖縄総務管理部等が調査を進め、原告から資料を提出させるなどして本件不正行為の解明にあたったが、前記(二)(1)の事実については、原告からの自主的な供述はなく、会社の調査によって不自然な金員の流れがあることが判明し、これを厳しく追求することによって、はじめて原告も大筋を自認するに至った。

(四) 懲戒処分等の決定について

(1) 被告は、原告の前記(二)(1)ないし(3)の各行為が、職員就業規則第六六条第一号「会社の規定に違反した場合」および同第五号「故意または重大な過失により、会社に損害を与えまたは会社の信用を傷つけた場合」に該当することから、同規則第六七条第七号を適用し、懲戒解雇処分とすることとした。

そこで、被告は、平成四年五月一日、原告の加入する安田火災海上保険労働組合に対し、同組合との労働協約第三一条「会社は、従業員を解雇または懲戒解雇する場合は、組合と協議してこれを決定する。」との規定に基づいて事前通知を行ったところ、同月八日に組合より「懲戒解雇処分でやむをえない。」との回答を得たため、同月一一日付けをもって原告を懲戒解雇とし、同日夜、乙山長崎支店長から原告に対して口頭で通知するとともに、五月二〇日に通知書を郵送した。

(2) 既に述べてきたところからも明らかなように、原告は、顧客の保険料という準公共的な金員を扱う「金融機関」たる損害保険会社の課長という地位にありながら、直属の部下に指示し、あるいはこれらの者を利用して(積立保険契約の名義人にされた社員等は、上司である原告の指示によって名義貸しを行ったものの、集金した保険料の原告名義の預金への流用、架空契約による保険料ローンの騙取という点までは、原告から知らされていなかった。すなわち、右不正行為の全貌は原告のみしか知らなかったのである。)集金された顧客の保険料を流用して何回にもわたって自己名義の預金を設定し、さらには、右領得分の帳尻を合わせるために会社の業務提携先である日産クレジットから架空の積立保険契約が成立したかの如く装って保険料ローン契約を締結して何回にもわたって多額の融資金を騙取したものである。

本件不正行為は、その領得金額、騙取金額いずれも四〇〇〇万円にものぼる極めて多額なものであること、営業成績をあげるためとはいえ、所詮自己の評価と地位の向上という利己的な動機によることなども勘案すれば、結果的に実損害が生じなかったことを充分斟酌してもなお、情状悪質というべきであって、懲戒解雇処分以外は考慮の余地はない。よって、被告が原告に対して懲戒解雇処分を行ったのは相当であって、またその手続にも何ら規定に反するところはない。

第三  争点に対する判断

本件懲戒解雇が解雇権の濫用にあたるか否かについて検討する。

一  成立に争いのない甲第一号証の一、二、第七号証、第八号証、乙第二ないし第四号証、第九ないし第一二号証、証人乙山二郎の証言によって真正に成立したものと認められる乙第七、第八号証の各一、二、弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる乙第一五号証、証人乙山二郎の証言、原告本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨並びに前記争いのない事実を総合すると、以下の事実を認めることができ、右認定に反する趣旨に帰着する原告本人の供述部分は前掲各証拠に照らしたやすく措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告内部における営業成績の評価等について

(一) 被告長崎支店においては、原告が属していた自動車営業課のみならず他の課においても、等しく、販売成績の目標の一つとして収入保険料が予算として組まれていたが、結果として本人の評価につながる面がないとはいえないものの、かかる予算が達成できなかった場合にも、そのことだけで、ペナルティーといったものは特になく、被告としては、仕事への取組みの姿勢あるいは企画力等を評価する態勢を取っていた。したがって、被告としては、予算を個人に対するプレッシャーとするような指導方針は取っていなかった。

(二) 被告長崎支店においては、対T比(対東京海上収入保険料比)という成績指標は存在したが、それが全てではなく、むしろ、一五社マーケットシェアーという指標の方が重視されていた。

(三) また、被告長崎支店においては、全ての営業種目の成績が同列に扱われ、特に、積立保険の予算達成のみが至上命令とされていたものではなかった。

2  トヨタカローラ長崎との問題について

被告長崎支店の取引先であったトヨタカローラ長崎が仲介人となって、被告に対して、被告長崎支店の旧店舗跡地の売却を求めたことがあったが、その際、被告長崎支店は、被告本社の不動産部と連絡をとり、最終的には社長を含む経営トップが対応したが、被告は土地の売却を行わないという会社の方針を貫き、平成二年の三月ころ、右申し出を断った。そのため、トヨタカローラ長崎と被告長崎支店との取引は縮小したが、トヨタカローラ長崎との右のような問題は、性質上、原告の責めに帰すべきことではなかったため、右取引の縮小を原告の人事考課に反映させることはなかった。なお、トヨタカローラ長崎と被告との取引縮小によって、被告が大打撃を受けるのは、平成四年度の予定であった。

3  被告長崎支店において、原告の置かれていた状況について

(一) 被告は、我が国の損害保険業界において、東京海上についで第二位のシェアーを占め、九州沖縄地区において、これまでは、東京海上を上回り、第一位のシェアーを確保してきていた。

原告が所属していた自動車営業課においては、毎年、自動車保険、自賠責保険で一〇億円、積立保険で二億五〇〇〇万円前後の予算が組まれていた。

(二) 平成二年ないし三年に、自動車保険の保険料率が引き上げられる一方、自賠責保険の保険料率が引き下げられるということがあり、社内における自動車保険のウエイトが東京海上よりも低い被告は、条件的に不利な立場に立たされることになった。そして、九州沖縄地区におけるシェアー第一位の地位の確保が危うくなったため、被告内部においては、積立保険をはじめ、財形障害保険等その他の保険でカバーする方針がとられるに至った。

(三) 積立保険は、自動車営業課の主たる取引先である自動車のディーラーを相手にしてはなかなか取り難い契約である一方で、一年で切り換えられる自動車保険等と異なり、期間が五年と長く、金額も多かったため、当該契約の獲得量によって競争他社との順位が大きく変動するという性格を有していたため、同保険獲得は、被告内部でも積極的に推奨されていた。

(四) トヨタカローラ長崎は、年に一回、毎年二月から三月にかけて、会社をあげて積立保険に関するキャンペーンを行っていたが、一回のキャンペーンで、被告長崎支店には、二億円前後の保険料収入があり、かかる保険料収入は、自動車営業課の成績となっていた。このように、トヨタカローラ長崎は、自動車営業課にとっての大口取引先であったため、前記2で述べたような同社との取引の縮小によって、自動車営業課は、予算達成が困難化するという状況に置かれるにいたった。

(五) 原告は、以上のような状況下で、金融機関を通して積立保険を獲得することを考えたが、金融機関から積立保険の顧客を紹介してもらうためには、被告側が、銀行に対して預金の設定をなすことが求められた(かかる預金は「バーター預金」と呼ばれていた。)。

金融機関から契約者を紹介してもらう場合、被告自身が会社の資金で預金をする(法人預金)のが通常であったが、銀行側は次第に個人名義の預金を求めるようになった。

そこで、原告は、当初、自己の手持資金を用いて、銀行にバーター預金をなしたが、次第に自己資金では不足するようになった。

(六) なお、被告の場合、九州・沖縄地区のそれぞれの担当店のその月のその日までの成績表、順位表が、毎日、課長の席にファックスで送付されてきていた。

4  本件の発覚及び原告の懲戒解雇について

(一) 日産クレジットは、平成四年三月一三日に、被告本社自動車開発一部二課に対して、解約申出のあった保険料ローン契約二件に対する解約返礼金が被告から支払われていない旨のクレームをつけた。

同課課長である吉沢は、積立保険の所管部である積立業務部に照会をなし、原告に問い合わせの電話を架けたが、原告は折り返し電話する旨答えたにもかかわらず、なかなか返事をしなかったため、同人が再度原告に電話したところ、原告は、契約は計上していない、返礼金は耳を揃えて返す、支店長には黙っていて欲しい、見逃して欲しい旨答えた。

当時の被告長崎支店長乙山が、検査管理室及び九州沖縄総務管理部のメンバーと、同日から合計五回にわたって、原告及び自動車営業課の職員、支店長席で経理事務を担当していた職員等に事情聴取をしたところ、原告は、日産クレジットから照会のあった二件についてのみ、事情説明をした。また、被告は、右調査と平行して、書類上の突き合わせ作業も行った。

(二) 右事情聴取及び調査によって、以下の事実が判明した。

(1) 被告の社内規程によって、被告の代理店から集金された保険料は、自動車営業課で内容を確認のうえ、入金内訳書作成後、支店長席の経理担当者に提出されることとされていたが、原告は、自動車営業課のもとに集金された保険料のうち、三回にわたって、合計四〇〇〇万円余りを領得したうえ、右経理担当者に提出せずに、積立保険を紹介してもらうためのバーター預金として、自己名義で銀行に預け入れた。

(2) 一方、被告においては、保険料の多い積立保険の場合、保険契約者が被告に支払うべき保険料相当額を日産クレジットとローン契約を結ぶことによって捻出するローン契約(この契約においては、日産クレジットは、保険料相当額の融資金を被告に振り込み、それに担保として質権の設定をし、ローン契約者は、日産クレジットに対して分割してローンの返済を行うという仕組みがとられていた。)がよく利用されていたところ、前記四〇〇〇万円余りは、本来、支店長席の経理担当者に提出されるべきものであったから、原告は、その穴埋めをするために、右日産クレジットのローン契約を利用することを思いつき、日産クレジットに対して架空契約による保険料ローンの申込みをなし、日産クレジットから被告に振り込まれたローンの金を、右四〇〇〇万円のかわりに、支店長席の経理担当者に提出した。

(3) 原告名義でのバーター預金設定及び日産クレジットとの架空の保険料ローン契約締結の詳細について

① まず、原告は、前述のように領得した被告の保険料一〇〇〇万円余りを用いて、熊本銀行長崎支店に原告個人名義で預金設定し、平成二年三月下旬ころに、自動車営業課松谷陽史主任の名義を用いて、日産クレジットの保険料ローン契約を締結し、同ローン金額一〇〇〇万円を、右領得金の穴埋めに用いた。なお、松谷は、原告から成績をあげるために名義を貸してくれと言われ、課長であった原告の指示に盲目的に従ったものである。

② 次に、原告は、同様に領得した被告の保険料一〇〇〇万円余りを用いて、西日本銀行長崎支店に原告個人名義で預金設定し、平成二年八月三一日に、松谷の友人である岩崎博實名義を用いて、日産クレジットの保険料ローン契約を締結し、同ローン金額一〇〇〇万円を、右領得金の穴埋めに用いた。このときも、松谷は、前回と同様の理由で名義を借りたい旨、原告から言われたため、岩崎に頼んで名義貸しを了承してもらった。

③ さらに、原告は、同様に領得した被告の保険料二〇〇〇万円余りを用いて、西日本銀行長崎支店に原告個人名義で預金設定し、平成二年九月二八日に、自動車営業課の嘱託員川邊一郎名義を用いて、日産クレジットの保険料ローン契約を締結し、同ローン金額二〇〇〇万円を、右領得金の穴埋めに用いた。このとき、原告は、川邊に事前に了解をとることなく、勝手に同人の名義を用いて右契約を締結したため、事後的に、名義を使用されたことを知った川邊が強く抗議したが、原告は、同人に迷惑はかけない、会社のためだという理由で同人を納得させた。

④ 以上のように、原告は、自動車営業課の部下あるいはその関係者の名義を用いて右ローン契約を締結したものであるが、名義を貸した、あるいは、その使用を事後的に承諾した部下たちは、原告が、非常に仕事熱心で、社内及び取引先からも信頼の厚い課長であったため、同人のいうことなら間違いないと思い、その要求に従ったものである。

⑤ 原告は、西日本銀行側が積立保険の契約紹介をしなくなったので、平成三年七月三〇日付けで、前記バーター預金のうち、一〇〇〇万円余りを解約し、その後も、契約の紹介がなかったため、同年の九月末日で、全てのバーター預金を解約したうえ、日産クレジットとの保険料ローン契約も同じころ解約した。

(4) 前記のように、原告は、平成三年九月末日ころに、日産クレジットとの架空の保険料ローン契約を解約し、同時にバーター預金も解約したものであるが、原告が、日産クレジットに対して融資金の返済を怠っていたために、前記4(一)で既に述べたように、平成四年三月に、日産クレジット側から被告自動車開発第一部に対して、保険料ローン契約が解約されたにもかかわらず、返済がない旨の照会があり、これが発端となって、原告の本件不正行為が発覚するに至った。

(三) 被告は、前記4(二)で述べたような原告の不正行為を確認し、被告の労働組合との労働協約の定めに従って、労働組合に事前に通知し、同組合から(原告は)懲戒解雇処分でやむをえない旨の回答を得たうえ、原告を懲戒解雇に処することに決め、当時の被告長崎支店長乙山は、平成四年五月一一日、原告に対して、被告の九州・沖縄総務管理部の命令で、金融機関の職員としてあるまじき行為であるとして懲戒解雇に処せられたことを通知した。

なお、原告の既述の不正行為を調査するにあたっては、検査管理部としては、調査担当者は、調査するだけであって処分権限はないことを原告に明確にし、処分内容に関して原告に何らかの示唆をすることは無かった。

また、乙山は、日産クレジットの所長に対して、原告が行った架空ローン契約について、正当な保険契約に基づいて融資を受けたものでなく、不正行為であった旨を報告した。

5(一)  以上認定の諸事実を基本に、本件で問題とされている原告の行為を簡単にまとめると、以下のようになる。

被告内部において販売成績の目標の一つとして設定されていたいわゆる「予算」は、会社としては、社員にノルマを課すようなものと捉えていなかったものの、原告自身は、必ず達成しなければならないノルマと受けとめていた。そして、原告は、平成二年の初めに発生したトヨタカローラ長崎との問題等によって、原告の所属していた自動車営業課の営業成績が大幅に落ち込むものとの危機感を抱き、同課の業績の維持をはかろうと、銀行に積立保険を紹介してもらうことを思いついた。しかし、銀行に保険契約を紹介してもらうためには、銀行に対して、個人名義の預金を設定することが求められたため、当初は自己の金で預金を設定していたが、それでも足りなくなり、被告の代理店から集められた収入保険料を領得、流用し、銀行への預金設定の資金とした。しかしながら、そのために不足した右保険料分の穴埋めをする必要が生じたため、事情の全貌を知らない部下らの名義を用いて架空の日産クレジットの保険料ローンを締結し、日産クレジットから振り込ませた金銭を、右不足した保険料として会社に納入した。

(二) 原告の右記行為は、被告の社内規程によって、本来被告に対して納入すべきこととされている収入保険料を勝手に領得し、自己名義の預金を設定したうえ、その事実を隠蔽するために、事情の全貌を知らない自動車営業課の職員およびその関係者の名義を用いて、架空の保険料ローンクレジット契約を締結したというものであり、右不正行為に流用された保険料が総額で四〇〇〇万円余りと高額であることも考慮すると、かかる原告の行為は、金融機関の管理職として、あってはならない行為といわなければならない。そして、原告の右のような不正行為は、新聞等のマスメディアによって、一般公衆の知るところとはならなかったものの、日産クレジット側には、同社に対する事情説明の際に知られるに至っており、被告の信用を毀損したものといわざるを得ない。

よって、原告の右不正行為は、被告の就業規則第六六条中の(1)会社の規程に違反した場合及び(5)会社の信用を傷つけた場合に該当するものといえる。

(三) 原告は、本件において、原告が右のような不正行為に及んだのは、被告が過度のノルマ達成を社員に義務づけていたからであり、それによって利益を得ている被告に、原告を解雇する権利はない旨主張するが、被告で働く個々の従業員が、被告内部で設定されていた「予算」をどのように受け止めていたかは別として、本件全証拠を総合しても、被告がその従業員に対して過度のノルマ達成を義務づけていたものとまで認めることはできない。また、仮に、原告の主張するようなノルマの達成が義務づけられていたとしても、原告が行った前記不正行為は、右ノルマ達成の手段としては著しく不相当であるし、かかる不正行為を被告が許容、ないしは促進していたものと認めることはできず、他方、右不正行為は、結局のところ、原告が自己の保身、将来のためになしたものといわざるを得ないから原告の右主張はとうてい採用できない。

また、原告は、被告に実損害が生じていないこと、被告自身大蔵省の行政指導に反する営業を行っているから、原告に対する懲戒解雇は行き過ぎである旨主張するが、原告の本件不正行為は、一般通常人よりも、その金銭の取扱いに一層慎重になることが期待されている金融機関の管理職として到底許されざる行為であるから、仮に、被告に実損害が生じていないとしても、原告に対する本件処分が特に過酷であるとはいえない。また、被告に原告の主張するような行政指導違反があったことを認めるに足る証拠はないし、仮に、被告が、行政指導に反した営業を行っていたとしても、それを理由として、本件のような不正行為をなした原告を被告が解雇できなくなるものではない。

二  結論

以上によれば、本件懲戒解雇は、解雇権の濫用に該当しないし、有効なものであるから、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官江口寛志 裁判官大島明 裁判官前川高範)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例